【花森安治の仕事展】カウベル、涙する。

石川富山の出張へ。打ち合わせの合間を抜けて、いや、こちらのために仕事入れたとも言えましょう。
花森安治の仕事展 デザインする手 編集長の眼 です。

デザイナーでありコピーライターでありカメラマンであり編集長であり営業マンであり。
ひとり制作会社の代表格の方です。
ひとりでやっている、という人は多分日本にごまんといるのでしょうが(私もそのひとり)、花森さんは次元が違う人です。花森さんのその仕事ぶりから「レベルの違い」をまざまざと見せつけられました。

何が違うのだろう、と私考えるに「圧倒的なセンス」でしょう。切れ味、鋭さ、だけどあたたかい眼差し。見る聞く話す作るすべてにおいての美的バランスセンス。どうやって培ったものなのかしら。生い立ちを追いかければその片鱗はみえますけれども、それだけとも言い難い。戦争の影も大きい。どこかで18歳までの経験が生活のセンスを決めると聞いたことがあります、後で手に入れられる才能ではないようです。花森さんは、そのセンスを「絵と言葉と写真で起こせる」能力を持っていた方だったのですね。

100号までの表紙、100号からの表紙、ずらっと並べてある展示会場でうなされました私。今でいう「インスタ映え」「フォトジェニック」という言葉がぴったり。花森さんは、60年以上も前に、しかも戦後に、これをやっちゃってたんです。「何、おまえら、今僕らがやっていたことやってるの?」とめっちゃ怒られている感しかり。

表紙の指定もかなり細かい。編集たるものかくあるべき感。私も駆け出しのころはトレーシングペーパーしいてやっていましたとも。文字サイズ行間指定していましたとも…。あの頃が良かったとは思いませんが(あの時の時代の作業なだけ)、やっていた「手仕事」は情報整理となり、今の私の仕事の発注の仕方につながっています。花森編集長はおそらく1ミリのずれも許さないタイプでしょう。(この辺森川と共通する)

取材撮影を終えて戻ってきた若い編集者たちから素材を受け取り「何もわかっていない」とただ怒っている(説教している)音声テープ。「編集者とは、カメラマンとは」という心構えを説いたもの。約20分間。

一緒に怒られて聞いていました。ごもっともでございます。そうです、そうです、すみません…と涙出てきました。

「君は撮影の日しかこの人を映さないだろう。だけどこの人(魚市場で働く人)は、毎日毎朝3時に薄暗い中を歩いて出勤するんだ。僕は君に、出勤する、働いている写真を撮れと言ったんじゃない。毎日出勤する という普遍性を撮影しろと言ったんだ。どうやったらその写真が撮れるか考えたのか。僕は3日前に撮影日を伝えた。それはその3日間で、どうやったら日常を撮影できるかを考えてほしかったからだ。出勤の場合は、夜中だ。まだ暗い、それを伝えるのは何か、光だよ。電灯なんだよ」 のような話

畳の上でごはんを食べている、なのに君は、立ったまま撮影をした。
畳の上で家族が座って食べているなら、君は座って同じ目線で、それ以下で撮影しないといけない。
僕は家族を撮影しろと言ったんだ。

ほか、ガンガン降りかかってくる編集者カメラマンデザイナーへの要求。音声データを入手したい…!

今、花森編集長が生きていたら、ITだの雑誌凋落だのメディアの騒ぎどう言葉を向けるでしょう。キュレーションメディアとか一蹴されますね、怒鳴り声が聞こえてきそう。ウエブがどうとうかSNSがどうとうか言う前に、「情報の芯はあるのか」と問い詰められそうです。

齊藤


2017年6月16日(金)~7月30日(日)
高岡市美術館

「花森安治の仕事 デザインする手、編集長の眼」展
https://www.kurashi-no-techo.co.jp/hanamorisan/